
書道、というか芸術も技芸もそうですが・・・
そういうものの良いところのひとつは、
「いつまでもチャレンジャーでいられる」
ところではないでしょうか。
例えばスポーツなら・・・
加齢による能力低下の影響は大きいので、
「挑戦」
できる年齢というのはどうしても限られてきます。
他にも、
一般的な「仕事」となると・・・
雇われる仕事には年齢の上限があるし、
自分で事業を起こしていたとしても、
やはりある程度のところで引退するのが多数派でしょう。
そしてボクが知っている話は書道に限ってですが・・・
本当に、
「今際の際までそれに向かい続けた」
方がおられたという話を時折耳にします。
本人にそのつもりがあれば、
本当に人生の全てを賭けて、
書の道に取り組むことができてしまう。
つまり、死に際まで・・・
「挑戦」
できるわけです。
そしてそれは気をつけていないと、
少なくともボクのようなフツーの人間にとっては・・・
「チャレンジャーであることにかまけて人生を使いつぶしてしまう」
危険が常にあります。
一応、先にお断りしておくとここでは、
「人生を使いつぶす」
という言葉を、
「つぶしが効かなくなって、就職など生活に困る」
という意味では用いていません。
チャレンジャー、挑戦者という言葉は、
甘い蜜のような言葉です。
チャレンジしている人は、ちょっとかっこいい。
挑戦している人は、一生懸命生きている。
少なくとも外から見れば・・・
なんだかものすごく意味ありげに、
必死で何か成し遂げようとしている・・・
ように見えます。
「挑戦」
というからには、戦いを挑む相手がいるはずです。
そしてそれを成し遂げたり克服したり・・・
そうすることがその人にとって困難を極めるから、
わざわざそんな言葉を使って、自らを鼓舞するわけです。
だから、ちょっと心が弱くなった瞬間なんかに、
「一生懸命がんばってるんだから、いいじゃないか」
「ぼくはこんなに勇敢に、困難に立ち向かっているんだから」
というように何だか、
「挑戦そのものが目的とすり替わってしまいかねない」
というか、
「挑戦していることそのもので満足してしまう」
というか・・・
それで悪いわけではないですが・・・
「挑戦」
「チャレンジ」
という言葉に酔わないことは、すごく大切だと感じます。
常にチャレンジャーであろうとすることと同時に、
達成だとか到達だとか、大切な通過点だとか、
そういうものをある程度は意識していないといつの間にか・・・
「あぁ、ボクは本当は何もするつもりがなかったんだなぁ。」
ってなことなんかに気づかされることになるかもしれない。
まぁそれだって、別に悪いことでもなんでもない。
挑戦、チャレンジ!!と言いながら、
何か行動を起こせば、必ず目の前には何かしらの反応が返ってきます。
それを経験というのだし、
経験というものはさまざまに応用が効きます。
だからまったく、無駄にはならないものです。
されど人の命は限りがある。
いつ自分がこの世から去らねばならないかは、
神様は私たちには絶対に教えてくださいません。
最短!最速!!
なんて意識する必要はないけれど・・・
それでもボクは、
常にある種の危機感のようなものは持って、
芸術に、書に挑んでいます。
常に「挑戦」・・・
かといって、
「挑戦」
と言う甘い言葉に自分が絡め取られてしまわないように、
真摯に「挑戦」に取り組んでいきたいですね。