
新年明けましておめでとうございます。
昨年度、直接お世話になったみなさま、
このブログやSNSを通じて仲良くしてくださった方々、
ツーリング先などの一期一会のみなさま、
本当にありがとうございました。
本年も何卒、よろしくお願いいたします。
さて、せっかくの年初なので、
今年に向けてのことを、ちょこっと語る!という感じです。
よろしければご高覧ください!
ここ数年、とにかく挑戦を意識してきました。
具体的に、何に挑戦していたかと言うと・・・
「やったほうがいい、すべきだと心の奥が申しておられる」
ことを極力スルーせず、忘れず実行。
遊びだろうと仕事だろうと関係なく、
自分の我欲の判断や、過剰な理性に自分自身を委ねず、
カッコよく言うなら
「直感」
に常に耳をそばだて、聞き逃さないようにする。
「直感」
は鍛えると、最も信頼できる人生の指針になる。
「直感」
はどこからやってくるのか、科学的な研究もあるようだが、
今のところ、はっきりした科学的な根拠などはなさそう。

根拠のない(ように見える)ものに、自身を委ねるのは勇気がいる。
今風に言うと、エビデンス?(笑)
データ化したものがあれば、確かに安心材料にはなるかもしれない。
でも、自分の人生を振り返ったとき・・・
後から冷静になって出来事を省みてみたとき・・・
我欲からくる判断が、最高だったためしはないし、
考えに考えた挙句の判断が、最もよかったこともない。
人は、いわゆる「エゴ」というものからちょっと離れたとき、
最も自分の人生に対して、フェアでクリーンな位置に立てるのではないか?
そしてそこからの判断、決断、行動が、もっとも自分にふさわしいのではないか?
例え方が難しいけど、そういう感じがする。
混じり気がないというか、自分の最も純粋な部分からの判断というか。
自分の中では確信に近いものごとの捉え方なのだが、
これは書道をやっているからこそわかってきた、とも思う。
書が他の芸術と一線を画すのは、
やり直しが効かない、瞬間を固定する芸術である点。
筆、墨、紙という組み合わせは、計算や計画を嘲笑う。
あのしなやかな動物の体毛でできた筆の動きを、
人間如きが思い通りにできるか?
あの複雑な液体である墨の滲みや掠れ、液体の流れを、
人間如きが狙い通りにできるか?
あの気温や湿度によっても様が変わる紙の状態を、
人間如きが計画通りに操れるか?
全部「NO」なのだ。
なにひとつ、思い通りにはならないのだ。

だから、頼りになるのは「直感」。
考えながらもたもた筆を動かしていると、
たちまち墨は紙に吸われるし、
書いた線はナメクジでも這ったかのような、
もっさりしたものになる。
カッコつけることを狙って、
大袈裟に、筆や墨に対して自分の言うことを聞かせようとすると、
作品は、その狙いや企みが透けて見える、いやらしいものになる。

そしてこれらは、面白いくらい人生にも当てはまる。
少なくとも、僕の人生には。
そして「直感」の栄養になるのは、
「日々の鍛錬」や「意識して行うなにか」
例えば、
歯を磨く、とか、ご飯を食べる、といった、
「意識」の必要ないもので、「直感」は磨かれない。
歯を磨くなら、意識して一本一本丁寧に、
歯の感触、歯茎の具合など、注意深く。
ご飯を食べるのなら、よく噛んで、
食材一つひとつの味わい、調味料の塩梅、
焼き具合茹で具合煮具合など、丁寧に感じながら。
こんなふうに「意識」して、丁寧に扱えば、
なんらかの「直感」は、必ず育まれる。
僕の目標は
「人生を美しい芸術作品にする」
ことだ。
美しさが生まれない方法で生きるなんて、ズレてるのもいいところ。
だとするなら、
「直感」
で生きることは、美しさを体現するひとつの要素になりうる。
そして「直感」は、「丁寧」に生きることで磨かれる。
日々を大切に。
そのとき、その瞬間を大切に。丁寧に。
そうやって磨かれ、育まれる「直感」は、
僕を裏切らないし、おそらく素晴らしい人生へと導いてくれる。
今年はより一層、自分の内側にあるものを信じて。
もっともっと、内側に委ねて。
そんな地味に勇気の要るチャレンジを、
引き続き推し進めていく所存。

みなさんの一年がより素晴らしくなりますように!!