Youtubeで知る、汝自身

最近自分のYouTubeチャンネルに、

私のお喋り入りのものをアップしている。



コレがじつにおもしろい。


自分を客観的に観察できる、実によいツールなのだ。



一人称視点なので、自分の立ち居振る舞いはわからない。

しかし、ヘルメットに装着されたカメラはその視線移動を通じて、

ボクが旅の道中、一体どういうものに興味を示すかを捉え、

それらについてひたすら喋る言葉を拾うマイクは、

ボクがそれらをどのように捉え、どう思い、どう考えているのかを、

ボクが思った以上にしっかり記録してくれている。



まだまだアップロードしている動画の本数は知れているが、

何度か見返した感想は・・・


コイツ、アタマ悪い(笑)けど、いいやつじゃん!


というもの。



まぁよくも、見るもの見るもの楽しそうに脳内処理してるなぁ。

コイツの頭の中の天気は、いつも天晴れ大快晴なんだろーな。

って、自分のコトなんだけどね・・・




動画を観てくれた友人から言われたのは、


「楽しいことばかりに触れているし、注目がいってる!」


というものだった。



当然といえば当然だ。

人生を「サイコーの芸術品」にしたいのだから。



自分の頭を、心を、魂を、


すばらしい、たのしい、素敵だ、美しい、おもしろい!


そういうもので満たしたい。

それが人生で最も優先されるべきことだと決めているし、

そういうふうに選ぶよう、そうなるよう努めてきた。



どんなときも、面白がれそうなものを探す。

何かをする理由は、人生を面白がっていたいから。




もちろん、こんなこと初めから出来たわけじゃない。

若い頃のボクの人生は美しくなかった。



何をしても、なんだかうまくいかない。

何を言っても、何をやっても、自分の至らなさばかりに目がいく。

周囲に目を移せば、みんなうまくやってるように見える。


それに比べて・・・ダメな自分。何もできない自分。

そんな思いはどんどん大きく育ち、強化される。

その状況がずっとずっと続く。


それはとても辛いから、自分を騙し始める。


嘘。

ごまかし。

逃避。

あきらめ。

そういうものが、一番純粋なものを分厚く覆っていた。

それが一番、許せなかった。

それらがあると、自分を愛せない。



人間が最もやるべきではないことのひとつは、


「自分を偽ること」

「自分を騙すこと」


だと思う。


「本心に蓋をすること」


だと思う。



そして面倒なことに・・・

自分を偽ったり騙したり、本心に蓋をし続けると、

それに対して、どんどん「不感症」になる。



感じなくなるから、わからなくなる。

人生が辛い。納得がいかない。悲しい。

でもなぜなんだろう?

原因を、日々自分自身が創り出しているにも関わらずわからなくなる。



自分自身で自分を貶めていることを思い出すためには、

結局自分と対決しなければならない。

自分をきちんと見つめることを続けなければならない。



ずっとずっとそんなことばかり、逃げずにやってきた。



そして今、自分の声を動画で聴くと・・・


ちょっと感慨深い。

随分、いいヤツになってきたんじゃないか。



ご興味あったらご覧あれ。

とにかく役に立たない、自分がしたいようにしてる動画。



これが「ボク」だ(笑)。

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